彫刻の制作活動を40年に渡って続けています。建物にも興味があっていろいろな美術館や博物館、旧邸宅など見て歩いています。建築家の方のお名前をそれほど存じているわけではないのですが、原広司さんは長野県との縁が深く私が知る代表的な建築家でした。その原広司さんが亡くなったとの記事が今朝の朝刊に掲載されていました。
長野県の飯田高校の出身で、その後、東大の教授となられ建築家として活躍された方です。原研究室からは、東京オリンピックのメイン会場となった国立競技場の設計者隈研吾が出ています。以前、朝日新聞に連載された原広司に関する記事は興味深く読みました。大阪の梅田スカイビル、京都駅ビルなど設計を始め、長野県では田崎美術館、飯田美術博物館などの設計をされています。
私がその名を知るきっかけとなったのは飯田美術博物館の設計者としてで、学生の頃、原広司が南アルプスをイメージして設計した建物が飯田市にできたと聞き、開館当時妙な形をした凸凹屋根の建物を見に出かけたことがありました。その後ですが、京都を訪れた際に京都駅を見て「あーあ―飯田美博に通じるものがあるな」と思う一方で、歴史ある京都にこの駅舎かとも思ったのですが、歴史ある地であるがゆえにこの建物を受け入れることができるのかとも思いました。(昨年は、現代美術の村上隆の作品展で大いに盛り上がった京都です)話を元に戻すと、一見相いれないような南アルプスと建物とを結び付けて設計していくその発想が面白いと思い、その名を心に刻んだのであり、現在の私が、作品の発想構想段階で大事にしているダブルイメージの原点はここにあったのかと思ったのでした。(h・m)
Comments