サンテグジュペリが「愛するとはお互いに見つめあうことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである」と語っています。私が母子像制作をしていた頃、見つめあう像ではなく、共に同じ方向を向くポーズの母子像をいくつか制作しました。当時は、同じ方向を向くことにこだわりをもっていました。
仏像鑑賞するにしても、仏像が鎮座する台座の上に上がって像と同じ目線でとはいきませんが、道祖神ですとか、祠であるならば、同じ目の高さで、その向いている景色を眺めることは可能だと思い、以来、道祖神や祠を目にした時は、祈りの対象であるとともに、愛する対象としてその道祖神なり祠と同じ方向を向いて同じ高さの目線で景色を眺めてみることにしました。
一番記憶に残っているのは、大岡村(現在の長野市大岡)のわらで作った道祖神が見つめる先の風景でした。おそらく西を向き、記憶なので確かにそうだったのか定かではありませんが、山また山が遠くまで連なっていました。アルプスの様な厳然とした山の景色とは異なり、穏やかな里山が続くその景色に“こうして郷土を見つめ見守っていたのか”との思いがわいてきて、郷愁へと誘われました。
共に見つめあうことで生まれるコミュニケーションもあるのですが、母子像制作に悪戦苦闘していたころに書店で偶然見つけた本が「共視論」北山修編(北山修は「あの素晴らしい愛をもう一度」を作詞)でした。同じものをみて思いを共有する。この本のおかげで共に同じ方向を向く母子像を制作するきっかけとなり、私の母子像制作の一つの型を導くこととなりました。
Σχόλια