1月10日、長野県の中部に位置する青木村の本日のお天気は晴れ。とは言え、寒さは厳しさを増しています。
青木村郷土美術館館長就任に際し北村村長からの言葉で印象にあるのは、「郷土と名のついた美術館である」という一言でした。私も一作家として生まれ故郷のこの地で立体表現の活動を続けていますが、私の造形のベースとなっているのは、まぎれもなく郷土の気候や地形、住民との関わりの中から生まれたのだとの思いが年々強くなっています。
昨年の6月、「郷土の慈雨となる」と題した、当館が収蔵する作品を中心に地元美術会の歴代会長展を開催しました。地域美術のリーダーとしての役割を担ってきた方々の検証をぜひしてみたいとの思いからです。すると、まったくの偶然だったのですが、当館に1993年に上田創造館で開催された「遺作六人展」の図録が保管されていてビックリ、これはぜひやりなさいとのお告げかと。するとどうでしょう、見つからなかった歴代会長の作品が次から次へと四人の方の作品が見つかるではありませんか。これにも驚きました。
以前、奥田元宋について千住博が「元宋の赤というが、赤という色が玄宗を選んで描かせたのではないか」と語っていたことがありました。そのように考えるならば、作家が暮らす、あるいは暮らしたその郷土が、その作家を通して作品を語らせ表現させたのではないのかと展覧会の準備をしていて思ったのでした。
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